死考能力。

最近訃報が続く。
毎年夏頃にそんなニュースが多い気がします。
オレは普段「自分の死」のことなんぞ深く考えたこともないのだけど、
以前たまけんでも紹介した、久留米在住で今も乳ガン再発と闘っている、西富貴子さんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/tryr6796/20110710/1310312230(7/10の記事)
を読んで、はたと考えるものがありました。
その中の中川恵一氏(東京大学医学部附属病院 放射線科准教授、緩和ケア診療部長)の著書を引用。


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はじめに宣言しておきたいことがあります。
「僕は、がんで死にたい」
そもそも、人間の死亡率は100%。死ななかった人は一人もいません。その死に方が問題です。「ピンピンコロリ」が今の日本人の理想と言われます。ピンピンと元気で生きて、コロリと苦しまず死にたいというわけです。しかし、僕は、心臓発作などで、ある日突然死ぬのはゴメンです。やり残したこともありますし、燃やしたい資料もある。やはり、人生を締めくくる時間がほしいです。
がんが治らないと分かっても、がんと知ってから数年の猶予があります。そして、死の直前まで、痛みの症状をとるなどして、うまくつきあえば普通に生活できる病気です。

がんは人生の縮図、時計の針の回る速さがアップするだけのことです。人生は死に向かう坂道のようなものですが、がんは、その勾配がきつくなっただけ。坂道にはかわりありません。

自然との触れ合いや宗教心がなくなり、急速に寿命が延びた結果、今の日本人は「死なない」という錯覚にとりつかれているようです。しかし、医療や科学がどんなに進歩しても、人間は必ず死にます。

がんは、命には限りがあることを思い出させてくれます。…中略…

一方、がんになって人生が深まった、生きることの素晴らしさが分かった、がんになって良かったという患者さんが少なくありません。やはり、僕は死ぬならがん、と思います。
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何だかガン推奨のような感じではありますが・・・。
決してそうじゃないです。


オレはいつどんな風に死ぬのか。
・・・いや、別に病んではいませんよ。
ふと考えただけさ。
突然、事故とか心臓発作なんかでのたれ死にしたら・・。
死ぬ準備してからこの世からいなくなったほうがいいよなと。
「あと3ヶ月の命です」と宣告されたなら、それは立ち直れないくらい沈むと思う。
でも考えるに、突然死ぬより、準備期間が欲しい・・・。
自分の死後を美化するつもりなんてないけど、子供達ひとりひとりにいろんなことを頼み、
いっぱい写真撮ったり、教えないかん事を8倍速で伝えたり。
死んだ後でも家族が少しでも食べれるように金策したり、
沢山の友達にもお別れと感謝を伝えないかん。
パソコンのデータも消去して、燃やすものは燃やさないかん。
やることはいっぱいある。
やはり死ぬには準備期間が欲しい。
ガンにはなりなくないが、
死神がやってきて「次の死に方を選びなさい。(A)交通事故で即死。 (B)心臓発作で突然死。 (C)ガンで死ぬ。」
と問われたら(C)を選ぶと思う。
いつかくる「死」を考えることは、湿っぽいしネガティヴになるからやめようぜ。なんて思うけど、
考えることで、家族や周りも愛おしいし、もっと今を大切に生きたいし、もっと健康で生き続けなければとも思います。
幸いまだ親父もお袋も元気。
きっちり親を見送りたい。
今日のたまけんは「死」を考えてみる。・・・でした。