相馬へ。

ARABAKIが終わって朝6時くらいまで大打ち上げ。
いろんなミュージシャン達と楽しい酒を呑んだ。
そして朝方には奈良美智さんの話に勇気をもらった。
この人のスピリットには感激するばかり。
ホント尊敬します。
ホテルで3〜4時間寝てヒロシたちと福島県相馬市へ向かう。
もちろん初めての相馬です。
南相馬へも行きました。
原発から20km圏内のとこ。
新聞・テレビ・ネット、話で聞いたりで想像はしてたものの、
やはり現場に立ってみると感じるものが違う。
一年前そのままの町の姿。
家々が潰れたままの通りは歩道にも雑草が茂り、人の気配もなく、信号だけがむなしく点滅している。
津波で多くの建物が流された地域では、ここに何が建っていたのか、どんな風景だったのかもわからないただの荒れ果てた広大な土地に。
何だか猿の惑星のラストシーンを感じさせる。
復興するにも見えない放射能になすすべもない。
こんな光景を目の当たりにして簡単に言葉が出るはずもなく。
ただ心の中で「畜生・・・」と。
天気は良く、桜散る野山はのどかで美しい。
手にするガイガーカウンターなる機械の数字だけが不気味なのを除いて。
ただの数字だけなのに。
線量が高いだの低いだの。
天気いいのにこの機械による数字で子供達は外に出すことは出来ない。
外で遊べない子供たちほど残酷な話はない。
子供にこの機械の数値が高いから外でちゃダメ!って
何人の子供が理解出来るのか。出来るはずない。
オレだって理解できん。
外はどこも変わらない風も心地よい春の空気。
車窓から見た誰もいない荒れ果てた公園は胸がいたかった。
子供はもちろん、やむを得ず家の中で遊ばせないといけない親たちにも
そうとうなストレスになる。
命がけで守った船も漁に出れずに繋がれている。
畑や田んぼも放置するしかない。
すべては人間が作った原子力発電。
こいつがあったばっかりに。
こんなヤツだと理解してなかったばっかりに。
逃げようにも問題が多くて簡単にはいかない。
その土地に長く住んでる人たちにとっては。
混乱しながらも夜には地元の人たちによって手厚い迎え酒を浴びる。
それでも相馬の人たちは真っ直ぐで温かい。
町には少ないながらもスーパーや飲食店も営業している。
そこにはあたりまえのように酒場で盛り上がる若者達の姿も。
その土地に生きるための生活がある。
相馬の人々の笑顔に触れて、ますます希望と深刻さが錯乱する。
なかなかうまく伝えられない。
でも相馬を身体で感じられて良かった。
オレはオレで伝えなければと思った。
涙をぐんでばかりじゃいられない。
案内してくれた地元の皆さん方に感謝。
もちろんヒロシにも。
相馬のことは忘れません。
近いうちにまた必ず!
帰りまで相馬で子供の姿は一人として見ることはなかった。
これが現実なんである・・・。
無性に早く家に帰って息子を抱きしめたくなった。
・・・畜生!


▲跡形もなくなった駅。分断された線路の向こうは原発へと続く。

▲駅の重量鉄骨もぐにゃりと。改めて津波の驚異がわかる。

▲障害者自立支援施設「えんどう豆」にも行ってきました。

▲えんどう豆の佐藤さん。

▲1年前のまま。ただ唖然とするだけでした。

▲1年前にはここにも普通の生活があった。

▲戦争でもあったかのような・・・。

地盤沈下した道路。何度も相馬に来てるヒロシでさえもため息しか・・・。

▲田んぼじゃありません。地盤沈下して逃げ場がなくなった海水です。

▲あの、どす黒い津波とは一変した穏やかできれいな相馬の海。

▲もうね、このあと人間はどんなものを建てたらいいんだって思う。

▲案内してくれたモリタさん。彼の家も全部流されたと。

津波はあの橋に逃げた人たちも飲み込んだと・・・絶句。

▲決して対岸の火事ではない。

▲力を・・・。