いのちをいただく。

今日は息子3人とスタッフの潤と共に糸島農業高校へ出向きました。
絵本「いのちをいただく」の監修者、佐藤剛史先生が企画する
「鶏さばき」の実践セミナーに参加するためです。
生きた鶏をしめ、解体し、頂くという・・・。
昔、じいちゃんや親父からは話には聞いていたけど、オレ自身そんな場面には遭遇したことがない。
日頃、肉と言ったらスーパーのパックに入った精肉しか知らない息子たち。
自らの手で鶏をしめ、解体するなんてオレが気絶してしまう!と、参加にも迷ったけど、子供らにも経験させたい。
都会に育ってるとこんな経験はなかなかできんし。
自分が生きるということは、命あるものを頂くということ。
動物や魚や植物の命。
お前達が美味しいと口にする食物、不味いと残す食物はどんな行程で食卓に並ぶのか。
そんなことをちゃんと想像できる人であってほしい。
最初は佐藤先生の話があって、それぞれ自己紹介。
ほとんどの皆さんも鶏をさばいた経験はない。
このセミナー、地元の小中学校の先生らが食育の一環として多く参加してるようでした。
他には農協の方とか。
イノシシをさばいた経験もあるという強者の方まで。
そして外で鶏をしめる。
農業高校の先生がお手本を見せる。
目を背けたかったが、息子らとじっと見ました。
長男も次男もスタッフ潤も包丁持って実践。
もちろんオレも。
三男坊は近くで、オレや兄ちゃんたちがしめるのを見てました。
両方の羽根の根元を持ち、首をまげ頸動脈を切る。
逆さまにして血が抜けきり絶命するのを待つ。
熱いお湯につけてから羽根をむしり取る。
調理場へ移動し、目の前には丸裸になった鶏。
こうなったら食肉という感じがしてずいぶんイメージが変わる。
先生の話を聞きながら、まだ温かい鶏を解体していく。
もも肉、むね肉、手羽に内臓。
居酒屋で手羽先を6本食べたら、鶏3羽の命ぶんである。
あたりまえだけど・・・。
ヒヨコから大人の鶏になるのはわずか5ヶ月ということも、砂ずり(関東では砂肝)にはホントに砂が入ってることも初めて知った。
スーパーで売られてる「若鶏」と表記されてるのは、ブロイラーで育った生まれてまだ2ヶ月の鶏だそうです。
終わってみんなで炭火で食べるという懇親会も残ってたのですが、
時間的な都合もあって帰ることに。
自らさばいた鶏は持ち帰りました。
ホントに経験できて良かった。
子供達に経験させられて良かった。
トラウマになって鶏はもう食べれなくなっても、それはそれでいい。
生きた鶏のぬくもりと、頸動脈を切った時の感触、静かな鳴き声と瞼を閉じ絶命する瞬間は当分忘れられないと思う。
残酷だなんて言えない。
そうした命をいただかず、粗末にすることのほうが文字通り残酷だ。

「いのちをいただく」。
オレも息子たちも、手を合わせて心から「いただきます」という大切な意味を学んだ。
命があってオレたちは生かされてる。



以下、今日の写真をいくつか。
なるべくショッキングなシーンは掲載していませんが、気分を害しそうな方はスクロールしないで下さいね。


▲糸島農業高校の調理場です。

▲ケースに押し込められてる30羽ほどの鶏。

▲ちょっと不安そうな息子たち。

▲佐藤先生の話を聞く。

▲長男が鶏をしめてるところ。

▲次男もしめる。

▲絶命した鶏を運ぶ三男。

▲みんなで羽根をむしる。

▲少し動揺したのか、遠くで小石を拾いはじめた三男。

▲こうやってお前の好きなカラ揚げになるんだよ。おいしくいただかないとね。

▲気を取り直して今度は調理場へ移動。

▲こうなると「食材」という感覚になる。このあと解体。

▲解体を終え、複雑な面持ちの息子たち。スタッフ潤も平成元年生まれなんで息子みたいなもんだ。